一生旅行業界人宣言!SaYangの気まま旅log

脱サラし、自由人になったので、これからは世界のどこかでふらふらします。(今フィリピン)

父と海外ボランティアと私とマレーシアと。

今日はちょっと変わった私の名前の由来についてお話させて下さい。

“SaYang”とは

突然ですが、私はペンネーム?ニックネーム的なものをSaYangとしています。本名は珍しいですがSAAYAと言います。(今は芸能人で同じ名前の人もいるから、そう珍しくも無くなってきているのかも知れませんが、私の世代では珍しかったです)。よく、「さや」とか「さやか」とかと間違われます。小さい頃は友達のお母さんからよく、「本名は何て言うの?」と質問されましたが、さあやです。

 

タガログ語のサヤン

フィリピンに関わるようになってから、Sayangと言うとちょっとクスッっとされます。タガログ語では、「もったいない!」とか「残念!」とか言う意味だからです。本当は違う意味なのに、私はそのことに、“Sayang!” です。でも、“SAYA” にすると、“MASAYA” と同じような意味で、「HAPPY」という意味があるようなので、私はフィリピンではあまりSayangを使わず、SAYAって言うようにしています。

ま、実際はそこまで気にしていないのですが笑。フィリピンが語源では無いので。

 

マレーシア語のサヤン

実は父親は私が産まれる前の20代の時に、マレーシアにJICAの青年海外協力隊で派遣されていました。

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その際にマレーシア語を覚え、気に入ったSayangという言葉を名前にしてくれました。Sayangを日本語の漢字にあてて、紗SA+綾AYA。マレーシア語の意味は、

夫婦同士や子供にも使います。
Sayangは日本語ですと愛する、可愛がるに近いでしょう。英語がわかるなら、「Darling」、「Dear」や「Honey」の意味で、夫婦や恋人同士でよく使う言葉です。後は、親は自分の子供を呼ぶとき、特に女の子によく使います。 
Yahoo知恵袋より引用。

という事らしいです。

私が昔聞いたのは「愛しい」とか「可愛い」と言う意味だったので、大体一緒ですね。狙い通りの可愛らしい子、にはなかなか育てませんでしたが、それにしても良い意味で付けてくれたこの名前には両親の愛を感じていますし、とても気に入っています。

 

マレーシアで東南アジア初体験

初めて東南アジアに行ったのは、おそらく中学生の時。マレーシアが初めての東南アジアでした。それまではハワイとかオーストラリアとか、いわゆる欧米圏のリゾートエリアばかりで、クリーンな世界でした。ディープでエネルギッシュなアジアは体験したことが無かったですし、幼かった中学校に上がりたてな私には、東南アジアは危険で汚くて怖くて・・・という、何とも食わず嫌いな、マイナスな印象しかありませんでした。なので、行く前まで「行きたくない、怖い」と駄々をこねていたことを覚えています。
※今から約16~17年前の話です。


実際に行って見て、今まで見てきていた先進国とはガラッと雰囲気も違い、怖い!怖い!を連発していました。ただ漠然とした恐怖感を味わっていた私の目に映ってきたものは、今までの海外旅行や、日本での生活では見ることの出来なかった、まるで少年のように瞳をキラキラさせて輝いていた、父親の表情でした。

もともと好奇心旺盛で物怖じしない、頼れる父親という印象はあったのですが、クアラルンプールを走るモノレール車内で、全く知らない隣の席の乗客にマレーシア語で何かを話しかけているではないですか。話しかけられた方も自然に、笑顔で、楽しそうに会話をしていました。きっと道を聞いたり、「何でマレー語が話せるのか?」という会話をしていたりと、他愛の無い会話だったと思いますが、彼の表情からはアドレナリンが出ていて、とても活き活きしているということは、中学生の幼かった私にも理解することができて、脳裏にしっかりと焼きつきました。


その時に私は初めて、父親がマレーシアにJICAボランティアで行っていたことを知りました。当時のことや昔のマレーシアについて、色々話を聞きましたが、さっきまで東南アジアを怖いとしか思っていなかった私には世界観が大きすぎて、理解することが難しかったと思います。ただ、父親が東南アジアが大好きなんだということだけはしっかりと感じました。それからと言うもの、私の東南アジアへの恐怖のイメージは、すーっと消えてなくなり、気がついたら東南アジアを知ってみたい!ローカルなエリアに行きたい!感じたい!と、自分でもビックリするほど、東南アジアの虜になってしまっていました。

私は一人っ子で、パパっ子でした。
ひたすらアジアで一緒に街歩きをしたり、思春期時代も二人で一緒によく海外旅行へ出かけたものです。
なので、私の海外好き・アジア好き・ビーチ好きは完全に父親の洗脳です。
血とは有難く、そして不思議なものですね。

▲両親との海外旅行と今の私について


2回目の海外ボランティア

きっと父親は、20代の頃に体験したマレーシアでの青年海外協力隊が忘れられなかったのだと思います。近年は協力隊OBOGの同窓会などにも顔を出し、2年程前には一人で長期休暇を取得して、マレーシア・シンガポール周辺を再訪する旅をしていました。そして会社を早期退職し、2016年の1月から今度は南米のウルグアイで、シニア海外協力隊として活動することになりました。分野は昔行ったマレーシアの事業と、社会人として長年働いてきた分野と一致していました。自分の専門分野でボランティアとして再挑戦をする父親を何より誇りに思いますし、治安の面で多少の不安もありますが、信じて応援したいと思っています。

7年前にフィリピンに留学に行くと言って、周囲の反対を聞かなかった私の背中を、力強く押してくれたのは父親でした。だから今回は私が全力で応援します。自分の夢にまっすぐに進む姿を見せて貰えて、いつまでも元気で、背中を追わせてくれることに、心から感謝しています。


私のセブ赴任が決まった時期と彼のウルグアイ派遣が決まった時期はほぼ同時期でした。渡航前、久々に父娘でお互いの夢を語り合いながら飲んだあのお酒は、本当に美味しかったです。

 

今では「私の父親今、ウルグアイにいるんだ!」
ということが、ちょっとした自慢です笑。 

 

 

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